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親鸞教学考 【第五講】  『教行信証』の後序に託された意図 廣瀬杲

一、はじめに

 

従来、真宗学の中で確かめられてきたことを、私なりに了解させていただくようなお話がいちばんいいのだと思いますし、そういう学びが大事だということはわかっているのですけれども、『観阿弥陀経集註』という、親鸞聖人が法然門下に身を置くようになったと思われる、最初の真跡に目がいきだしたら、逆に『観阿弥陀経集註』のとりこになってしまいまして、にっちもさっちもいかなくなっているのです。

昭和18年に初めて西本願寺の宝蔵から見つかって以来、『観阿弥陀経集註』というお書き物が、親鸞聖人の一生を通じての教学の営みの中で、どういう位置をもつだろうかというような関心を寄せられる方は、ほとんどなかったと言ってもいいと思います。むしろ昨今、若い人の中で注目して整理をしようとしている方が見受けられますけれども、私の年齢でこういう新しいものに触れていく話をしていくということは、無理にでもやめておかなくてはいけないのです。終わりまでとてもお話できそうにないという感じが自分の中にありますから。

そう思いながらどうしても引きずられてしまいまして、あえて言うならば、親鸞聖人、と私たちが仰いでいるお方の浄土宗の学徒としての学びの出発点が、どんなことの確かめから始まったのだろうかという関心に対して、『観阿弥陀経集註』というお書き物は、今までの私たちが学んできた親鸞聖人の、お聖教を中心とする学びの中には、見ることができないような視点と申しますか、そういうものを突きつけてくるわけです。ですからどうしても、そこから逃れられなくなってきたということが、私の現状です。

しかしなんとか少しでも、『観阿弥陀経集註』というお書き物がどういう形をとりながら、どういうところに親鸞聖人がお心を寄せておいでになったのかということを話せるようになれればいいと思いつつ、いろいろ試みてはいるのですけれども、何分にもご指南をしてくださるお方が一人もおいでになりませんので、自分で文字どおり暗中模索をしながら、なんとか最初の親鸞聖人の教学のご関心というものがどういう形で出発し、そのご関心がやがて一生を貫く、親鸞聖人の教学の営みを、その中でどのように息長く続けていかれるのだろうかということを、ひと言でもいいからそこまではたどり着きたいと思っております。

もう一つは、この数回、そのことにかかわり果てるような形でお話をしていますけれども、「私の感覚」と言って表現しないと、どこかに物証があるかと言われますと、何も物証などありませんから、感覚的なものだと言われてしまえばそれまででありますが、『観阿弥陀経集註』が確かめていることが、親鸞聖人ご自身のお名告りになっていくとすると、生涯、親鸞聖人が親鸞というお名前とともにお使いになった善信というお名前は、『観阿弥陀経集註』が名告らしめたといえるのではないか。

この『観阿弥陀経集註』という言い方も、正式にはこういう言い方はしないようです。国宝になっているお書き物ですから、国宝としての名前がついていますので、それで呼ぶべきなのですが、私はやはり『観阿弥陀経集註』というように言わなくてはいけない書物だと思うものですから、そう言っていますが、とにかく何もはっきりとはわからないお書き物なのです。でも何か逆に、『観阿弥陀経集註』が善信というお名前を親鸞聖人に非常に厳しい形で名告らしめたという性格をもっているのではないだろうかという」とが、一つ思われます。

そして同時に、それは親鸞という生涯を貫く教学者の名前、教学者という言い方をしましたのも、善信という名は、愚禿釈親鸞という名前に代表されるお名前とは性格を異にした視点から、親鸞聖人が名告られたお名前であるということを思いますと、やはり愚禿釈親鸞というお名前で名告られたそのもとに、私たちがお教えをいただいてきたお法に先立って、善信の名でなくては顕らかにならない親鸞聖人の最初の、浄土の教えに触れたその確かめ、そういうものがあるに違いない。これも文字どおり違いないという以外にないのですが、そういう意味では、「それはみんな、あんたの思いつきではないか」と言われたら、それに答える資格は何もありません。

そして『観阿弥陀経集註』の経典の部分と、それに註を付けておいでになる形式の関係、経典と註備とのかかわりを通して、親鸞聖人の初期の思想の形、思想構造の性格を認めていくことができるかと詰められますと、「はいできます」という返事はできないのです。ただ、できるはずだという思いの方が強いのです。「必ずできるのか」と言われると、今のところ「できます」という返事をする勇気はありません。そういう意味では、私の一つの淡い希望のような、内的な欲求を聞いていただいているというだけになりまして、はじけてしまうと元も子もなくなってしまうということになるかもわかりません。事がここまできますと、もうこれからは身を引くことができませんので、続けて私なりに考え考えお話をしてまいります。

親鸞聖人のお名前というのは、一つひとつ、非常に重い課題をお名前そのものに託しておいでになるというのが、親鸞聖人のお名前の内に隠されている問題だろうと思うのです。だからただ名前を付けたとか名前をやめたとかいう話ではなくて、やはり善信という名前でなくてはならないようなことが、親鸞聖人の内面にも、あるいは法然・親鸞を包む当時の浄土宗の興行に伴う出来事の現実の中にも、厳しい状態としであったのではないか。それをきちっと確かめておかなくてはいけないのではないだろうかということが念頭にありまして、それを先回もお話をしかかったのですが、どうもうまくいかなかったなと思っています。

 

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