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教親鸞教学考 【第八講】  綽空という法名の意味を問う 廣瀬 杲

一、はじめに

 

今年のお話も今日でおしまいになりますけれども、前回、九月のお集まりのときに、キチッと二回に分けてお話をする余裕もありませんでしたから、一気に話してしまいました。

話し終わりましてから、皆さんの顔が目の前に出てまいりまして、ずいぶんご苦労なさったのではないかな、何を言っているか見当づけをするだけ、ずいぶん大変だったのではないかなと思いました。いつもは『南御堂』という機関紙に、教化センターでの話の一部が載りますが、前回の話は載せないでほしいと私の方からお断りをしましたので、先回は載りませんでした。

それで、私がどんな話をしたかを確かめるために、そのときのテープを送っていただきました。自分の話を自分で聞くということはめったにないのですが、いかにもご迷惑をかけたなという感じがあったものですから、自分で聞いておりました。

『観阿弥陀経集註』ということを念頭におきながらのお話というのは、これで三年目になります。いちばん初めのときは、『観阿弥陀経集註』と私は言っていますけれども、それがどういう経緯で発見されて、どんなふうにして伝達されて、今どんな位置付けがされているかというようなことを、大雑把にお話したと思います。二年目のときは、それと『教行信証』とのかかわりを密着させないようにということに軸をおいてお話しました。

確証はないのですけれども、私は『観阿弥陀経集註』と言いますが、真宗学を含めての学問の場では、この呼び方も正確名称ではないのです。しかしこの呼び方で通していきますならば、いつかはこの呼び方が、経典に註を集められた親鸞聖人のご努力を表現する正当なお名前になるのではないかということを、自分の気持の中にもちながら、あえて『観阿弥陀経集註』という言い方をし続けています。

けれども、ほんとうにそれが正しいかどうかということはわかりません。わかりませんけれども、これまでほとんど、そのお書き物について思想的な確かめをすることがございませんので、今度は逆に、反対論であろうが賛成論であろうが、あるいは私に近いものの考え方、あるいは私とはまったく違う方向での視点からの発言、そういうものがございますと、それなりに私は私として、それらを拝見しながら自分の筋立てを考えていけるのでしょうが、ほとんどないのです。ないものですから、相手は自分であって、自分がこう考える。それに対してもう一人の自分が、それでいいのかという問いを立てるというように、自問自答しながらお話をしているというのが、一九九六年以降のお話です。

一年目二年目は、なんとかそのようなことで概括的なことをお話しまして、そのときの結論として大胆に、私たちが今まで真宗学として学んできた、その対象に位置付けられている親鸞聖人の思想、すなわち『顕浄土真実教行証文類』、『教行信証』に代表される、いのち終わるまでの親鸞聖人の思想の表現ということと、『観阿弥陀経集註』と私が呼ぼうとしておりますお書き物とは、当然、同一のお方が時を異にしてお書きになったということでは、決して無関係ではありません。

しかし、目のつけどころということになりますと、私はどうしても『観阿弥陀経集註』と『教行信証』とは、同視点で見ていくということはいかがなものかという疑問が、どうしても拭い切れないのです。そして、大胆に言わせていただきますと、『観阿弥陀経集詮』にうかがわれる学びということが、親鸞聖人のお若いときにもしなかったならば、『教行信証』以降のお書き物のような、ああいうお聖教は生まれてこなかったのではないか。

そういう意味では親鸞聖人の思想の母体形成、それが『観阿弥陀経集註』ではないかと、これはどこにも物的証拠はないのですけれども、そういうふうに考えていまして、いつのときでありましたか大胆に申し上げました。少々大胆に過ぎたものですから、今、困っているのです。

 

二、愚禿善信

 

『教行信証』に代表される、私たちが今日まで親鸞聖人のお考えを決定してきたその思想の営みというのは、愚禿釈親鸞という名告りの下になされたご仏事である。ところが『観阿弥陀経集註』というのは、それに先立って、善信の名の下にご自分で確かめをなさった、その思想の跡をそこに見ることができるのではないかというようなことを言い切ってしまったものですから、引くに引けなくなってしまったのです。名前を出してしまったものですから。親鸞と善信と。この二つは切り離すことのできない形で、ずうっと親鸞聖人の最晩年に至るまで、善信というお名前が出てまいります。

晩年に至って、という言い方は正当かどうか知りませんけれども、たとえば私たちが聖典としていただいています書物に『和讃』があります。この『和讃』は蓮如上人が文明年間に開版された『和讃』が出ているわけです。ところが親鸞聖人に近いといいますか、親鸞聖人が直接お筆を下してお書きになった『和讃』に近いということで申しますと、高田の学匠であります顕智が書写した『和讃』の方が近いと言わざるをえない。

顕智本と文明関版の『和讃』とではずいぶん違います。表現のしかた、あるいはお左仮名。親鸞聖人独特の左仮名です。非常に大事な左仮名が、文明本には抜け落ちている、あるいは抜け落としている、というようなところもあったりして、そういう考証をしていきますと、ずいぶん面倒なことになってくるのでしょう。

 

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