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親鸞教学考 【第二一講】 人間とは何か|親鷺における真仏弟子観

一、はじめに

 

お約束しておりました六月の会を休んでしまいましたので、三月から今日まで半年間隔があいてしまいまして、話の接ぎ穂がうまくつかみきれないという感じは否めないんですけども、ともかくお話をさせていただきます。

実はこういうことは言うべきではないのかも知れませんが、ちょっと身辺に、極めてわたくし的な事で異常がありまして、医者からストレスになるような仕事は一切やめなさいという注意を受けたんです。そういう状態だというんです。それを逆手にとってこれ幸いとばかりに、何がストレスになるかというのを自分で考えてみましてね、ずいぶん多くの会合への出席をやめさせていただいたのです。

で、お医者さんに行きましてね、「先生、私は今日までもう六〇年以上いろんなことを経験してきましたけども、こんなに楽な気持になったのは初めてです」と言ったのですよ。「ただ楽になったのはいいんだけれども、呆けるんじゃないかなと心配しているのです」と言ったら、お医者さんからも「それが一番心配なんですよ」って言われましてね。で、「もうストレスが加わるような仕事はしないで、自分の一番やりたいことを思いっきりやりなさい。それが一番いいですよ」と言われました。

そうはっきり言われますと、今度は何がやりたいのか、またこれがわからなくてですね、そんな中からこちらでのお話が心に残ったのです。この会も最初は「教行信証総説」と、これは私がつけた題ではなくて、教化センターの主幹をしておられた本多恵さんがつけた題であって、それに無理矢理のせられただけでありまして、これはもう私には責任がないというふうに思っているんですけれども。

後からまあ、いくらなんでも「教行信証総説」という題のもとでは、どう考えてもおこがましくてね、話ができないということで、思いきって親鸞聖人の教学というものはいったい何を明らかにし、どのような形で他の仏教の学びと異なるんだろうかというようなことを尋ねていきたいということで、「親鸞教学考」という、まあこれも図々しい題でありますけれども、そういう題をつけてお話をさせていただいてきているわけです。

こちらの話も、もう一六年になるそうです。一六年も前の話は忘れているんですけれども、きちっとセンターの紀要が出ておりますでしょ、『生命の足音』。あれもちょっと落ち着かん題ですね。センターの、教化センターの紀要というのと、『生命の足音』。なんか片っ方は非常にロマンチックな題であって、片っ方はえらい堅い題である。それがいっしょになって、ドッキングしているような感じがするんですけどね、まあまあ、それはそれとして、あれにきちっとテープから整理をしてくださって、載せていただいているわけです。

で、私が思いついたのは、あそこの話が一番気ままな話をさせてもらっているんで、あれを私なりに、できれば自分で手を加えたり、あるいは言葉を足したり、あるいは問題の視点を変更したりして、まあやれることならそれをやってみたい、それならストレスたまらんと。飯食わんとやっとっても、たいてい大丈夫だと思って。

ところが、ふと気がついたのは自分の歳なんですよ。歳を忘れとったんです。皆さん方にはそういうことはないでしょうけれども、僕は本当に歳を忘れ、あっ、しまったと思って、気がついてみたら、あと一〇年もし生きたとしても、もうおおざっぱに言って九〇ですからね。それまで最低限、今の状態の頭の構造でですね、生きておれるかというと、まずそれは不可能だということの方が実感なんですよね。そうすると、限定して、最も長く限定して一〇年。しかもその中で、だんだんと思考力が落ちていく。ということになると、あと何年というようなことは言えなくなる。

 

二、親鸞聖人の思索の底辺

 

目の前にあるセンター紀要を見ていますとね、とてつもなく大きなものなんですよ。同じこと繰り返しているようですけれども、私の気持としては。

ただ繰り返しているんじゃなくてですね、何か言い当てたいというんですか、親鸞聖人の教学と言いますか、親鸞聖人の領き、特に『顕浄土真実教行証文類』というあのお聖教を中心とした思索というものは、いったいなぜ親鸞聖人の上に起こったのだろうかということの、いわばそういう親鸞聖人の思索の底辺と言いますかね、あるいは、ああいう思索をどうしても親鸞聖人になさしめずにはおかなかったと言うてもいいような、事実というものはいったい何なんだったのか。

その事実というのは、現実的な事象としての、現象としての事実じゃなく、親鸞聖人自身がですね、どうしても『顕浄土真実教行証文類』というあの書物を中心にして、それを押さえていく厖大な書物を書いておいでになる。

親鸞聖人は本当に偉いなと、偉いなというのはおかしい言い方ですけれども、九〇まで生きたんでしょう、あの時代に。私が一〇年生きて四捨五入して九〇だと言いましたでしょ、でも親鸞聖人は痴呆にはならなかった。

その証拠は、八八歳の時のお手紙を見ますとですね、極めて明噺な頭脳をもって書いておられますし、また八八歳の時に、最後に書かれたと言われております『弥陀如来名号徳』というお聖教、これを拝見しましても非常に明解に書かれています。

『教行信証』の中ではああいう明解単純な表現にはなっておらない。むしろどちらかと言ったら、『弥陀如来名号徳』の方が、弥陀如来の名号の功徳というものを表現することとしては、簡潔であると言うてもいいほど澄んでいるのですね。そんなことを考えながらですね、こりゃ大変なことになっちゃったなと実感させられています。

 

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