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親鸞教学考【第37講】 「後序」という表現をとる流通分 廣瀬 杲

 

一、はじめに

 私の話も今年は、今日が最後ということであります。

 今日は資料を作っていただきまして、皆さまのお手元にとどいているわけですけれども。これはもともとご承知のように、『真宗聖典』の中にあります『教行信証』の一番最後の文章ですね。『真宗聖典』で見ておられる方は、398頁からでありますが、それを拡大して、これも私の注文ですけれども、私自身が見えにくいものですから、大きくして欲しいということをお願いをして、こういう判になったわけであります。ですから、文章はそっくり『真宗聖典』の『教行信証』、『教行信証』のいわゆる「後序」と言っておりますあの文章が全文出ているわけです。

 それでもう一つ、「本願寺聖人伝絵』という標題が付いている文章がありますが、これは覚如上人の『御伝鈔』ですね。『御伝鈔』の中に、親鸞聖人の『教行信証』の「後序」のご文を引用なさっておいでになりますので、そこで非常に大きな問題を提起されておられますから、出来ることならばそのことにもこの際、触れておきたいなと、そんな気持でお願いをしてこれを作っていただいたわけです。

 まあしかし、今日どこまでお話が出来るかということになりますと、あまり進んでいくわけにもいかないのですよ。次は来年になりますからね、皆さま方は記憶力が抜群でしょうけれども、でも段々、話の内容が、整えていけなくなるということもありますので、可能な限りは、今年は、あるところで閉じさせていただいて、問題を私たちお互いに共有するという形で、来年もしご縁があれば、それに繋げていこうかなと思って来ております。

 

二、テーマが持っている意味

 で、これまで何回かお話をする中でも申しましたけれども、今回のような、「後序」という表現をとっておりますこの『教行信証』のご文に注目をすることによって、『教行信証』という親鸞聖人のお書き物、『顕浄土真実教行証文類』というこのお書き物は何を顕かにし、どういう事柄を徹底していこうとなさっているのかということを、尋ねていこうかなという気になったのは、これは何回も申しておりますけれども、岐阜県の郡上八幡というところでの研修会、学習会ですね、その学習会の中で集まってくださっている方々から、「『教行信証』を後序に聞く」という題で考えていくことは出来ないだろうかという提起がありまして、その提起の時に表現された「『教行信証』を後序に聞く」というような、そういうテーマ立てということは、これまできちっとした形で我々の前に、提起されたことはあるだろうかということを考えますとね、案外そういうことにはなっていない。

 とすると、この一つの学習会のテーマでありますけれども、そのことは案外『教行信証』を学んでいく私たちにとりましては、重要な方向づけをしてくださっているのではないのかなということで。そんなことから、提起なさった方々の意見よりも、私が受け止めた感情の方が先行しましてね。私ももう『教行信証』を拝読したいと思いましても、どういうところに立って拝読していけばいいのかということも自分の中でいろいろ模索をしている時に、こういうテーマがいただけたということで、もしお許しをいただけるならば、まあ私そう何カ所にも行っておりませんけれども、東京とか名古屋とか、こちらの会とかですね。まあ郡上八幡の会というようなところだけ一年に数回ずつ行っておりますから、そこでも同じテーマでお話をさせていただきたいというようなことを申しましてね、そういうことになっているわけです。

 それで、これどこまで話が出来るかというようなことは全く未知でありますけれども。一つきちっと、そのテーマとして出された、『教行信証』六巻ですね、『顕浄土真実教行証文類』という非常にはっきりした主題を立てて示されている親鸞聖人の主著ですが、この主著を内容的に押さえていこうとする時、全体を一括する形で見極めていく視点というものがあるとするといったい何であろうかと。これはもう従来からいろいろな先生方がおっしゃっていることでありますけれども。それを「後序」だというように決定づけるということは、極めて大胆なことでありましてね。そういうことが可能であるかどうかということすらも、課題になる一つの要素となると思うのですが。

 でも、そのテーマが持っている意味は、考えてみれば考えてみるほど、非常に大きいし、非常に切迫をした感情を秘めていると言ってもいいのでないかなという気がいたしております。そういうことで、先回、先々回おじゃました時に、概要と言いますか、全体を包んでいくような視点で一度確かめをしてみようということで、いろいろなことをお話をいたしました。それで、だいたいいろいろなことをお話したことが、今月一二月号ですかね、「南御堂」の新聞に出ております。概要が見事に収められて出ておりますので、あれだけまとめていただければもうそれ以上申しあげることはないような気もいたしますけれども、二、三のことを確かめながら、一つ今日のところはここまで、というところまでお話を進めていきたいと思って来ました。

 

三、存覚上人の姿勢

 一つは、「後序」に立って『教行信証』全体を見開いていく、あるいは「後序」に『教行信証』全体を見つめていく視点を頂くことが出来るかどうかというような、大きな課題でありますけれども。その課題を一緒にお考えいただくということに先立って、果たして我々にとって『教行信証』の「後序」というご文については、どのくらいの積極的関心を持っているのだろうか、ということを一度問うてみたいということがありましてね、先回はそんなお話をしたわけでありますが。特に『教行信証』というこのお聖教。このお聖教に、ある意味で本当に、どう言いますかね、正確に確かめを明らかにしていこうという、そういう姿勢で学ばれたお方、それが私は、存覚というお方だと思うのですよ。

 ところが、先回申しましたけれども、存覚上人というお方のもののお考え方というものについては、かなり大谷派でも本願寺派でもそうでありますけれども、その宗学という伝承の中では、あまり積極的に領かれるということがなかったということを思うのですね。それはやはり偏見だろうと私は思っているのです。

 とすると、その存覚上人は、なぜそのような位置に位置づけることが出来るのかと言いますと、私は『教行信証』六巻を、少なくとも最初の一句から最後の一句まで、ずっと一つの同じ姿勢で貫いて、了解を明らかにしてくださったのは、存覚上人以外にはないのだろうと思うのですよ。今日、いろいろな先生方が出しておられますけれども、それは皆さま方お読みになると分かりますけれども。存覚上人は一字一句を大事にしながら、押さえていくわけですね。そして最後のところまでずっと読み切っておいでになる。それはおそらく千年も時を隔てているとは言いましてもね、これだけの姿勢をもって『教行信証』を精微に、しかも厳格に、お読み込みになったお方はいないのでないかなと。もちろんこういうことを申しますと、個人的なお名前が頭に出ると厄介なのです。全体的にそういうことを思うのですね。

 ところがその存覚上人の、『教行信証』六巻についての了解の書であります『六要妙』ですね、この前申しあげました。六つの要の鈔。この『六要鈔』というのは、六巻の『教行信証』を一つひとつ押さえていこうというお気持で付けられた題名だろうと思いますけれども。その『六要鈔』にきちっと示されているにも関わらず、あまり注目をしないのはなぜだろうかと。いかにもおかしいと私は思うのですけれどもね。それは単純に申しますと、徳川時代の体制の中にあった真宗大谷派、浄土真宗本願寺派、ともにそうでしょうけれども。それらが、宗学というものを持っていました。そうすると、宗学が悪い良いではなくて、宗学の位置というものはある意味で絶対的権威を持っているわけですよ、学問としてです。

 

 

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