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歎異抄講話 【第二章】 金子大榮

『歎異抄』と申しますれば、今日広く読まれておることでもあります。ことに、『歎異抄』といえば、まず第二章をあげるというほど、知られておる章であります。

おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり(聖典・六二六頁)

と、ひとまず語りはじめであるのであります。この文章からわかりますることは、宗祖親鸞聖人が、60歳をすぎて京都へお帰りになり、その後を慕うて、関東の弟子達が訪ねてこられました。その訪ねてこられた人達に対してのお言葉であります。

後へいきますと、念仏は浄土に生まれる種であるやら、地獄に落ちる業であるやら、わからないということを言っておいでになりまする。そのお言葉から察しますというと、念仏申してもお浄土へは往けない、念仏は、往生浄土の業でなくて、地獄へ落つる業である、というようなことを言うた人がありまして、それに迷わされておられたのでないであろうかと、こういうふうに想像されております。そうであるかもわかりません。そうでないにしましでも、長い間関東におられた聖人が京都にお帰りになったんですから、後がなんとなく寂しい。寂しいので、東国の同行の人々が、時々、三人なり五人なり語り合うでは、京都へ行ってお話を聞こうじゃないか、というようなことがあったのでもありましょう。しかし、東国の稲田から、ずっと京都までくるということになるというと、これは大変なことであります。「おのおの十余か国のさかいをこえて」と、あなた達は皆、十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして訪ねてこられた。

昔のことでありますから、常陸から京都へ来るといえば、命がけであります。私は北国、越後の高田でありまするが、私の親が京都へ学問に来る時には、水盃をしてのぼったということであります。そのようなことですから、「十余か国のさかいをこえて」、はるばると京都まで行って、そして、話を聞きたいという、そういうことは、ただ物好きぐらいでできることじゃない。「身命をかえりみず」、命がけでおいでになったに違いない、こういうことであります。

もっとも、こういう表現を聞いて、いろんなことを考える人がありまして、身命をかえりみずというのは、命がけという形容詞でなくて、事実のぼられた方の中には病人もおられたはずです。それは、覚信房という方がおられまして、京都へ行って聖人からお話を聞きたいものである。そういうておられたんですが、弱い体が、あと一息というところで、病気を出して、「もう、あなたは帰った方がよかろう。その体では京都へ行けないんだから、帰った方がよかろう」と、こう言われた人でありますけども、「いや、もう、どっちにしても死ぬのならば、一足でも、京都へ近いところで死にたい」ということで来られた人もあるんだ、というようなこともいわれております。

いずれにしても、容易ならん。命がけで、この京都まで親鸞を訪ねてこられたということは、

ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり(聖典・六二六頁)

ということです。何が聞きたいかというと、どうしたならばお浄土参りができるかという、それが聞きたいのであろうと、こういってあるんであります。

 

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ですから、聖人が晩年京都におられた時に弟子達に対する話でありますからりして、この第二章に書いてありますることも、おそらく特に聖人の晩年のご心境であろうと、こういうふうにも思われます。私も今まで、『歎異抄』の講話を何遍もいたしましたんでありまするが、そういう時には、ひとえにこう申しとったんであります。

ところが、つい最近に、NHKに頼まれまして、「古典を訪ねて」という題で四日間『歎異抄』の話をしてくれということでした。『歎異抄』を読みながら、それによって宗祖聖人のご一生というものを思い浮かべてみようとしました。古典をたずねるということは、古い書物を読んで、その書物を書いた人に面会するという意味を持ってるんでありますから、『歎異抄』を読んで、そして、親鸞聖人の人柄というものを知りたいものであるというふうに思いました。この『歎異抄』の第二章は、あるいは、聖人が九つの年に出家して、そうして、比叡山で修業して、法然上人の門に入って、そして法然上人の教えを聞いてお喜びになった。それまでのことも、この第二章において見ることが出来るんでないであろうか。

 

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