(一)
この前は、善信が信心と師匠の信心と同じということで争論があったという、そこをお話いたしました。「当時の一向専修のひとびとのなかにも、親鷺の御信心にひとつならぬ御こともそうろうらんとおぼえそうろう。いずれもいずれもくりごとにてそうらえども、かきつけそうろうなり」と、そこまではお話が済んだのでありまするが、今日はそれから以降であります。拝読いたします。
露命わずかに枯草の身にかかりでそ・つろうほどにこそ、あいともなわしめたまうひとびとの御不審をも・つけたまわり、聖人のおおせのそうらいしおもむきをも、もうしきかせまいらせそうらえへいがんぞんども、閉眼ののちは、さこそしどけなきことどもにてそうらわんずらめと、なげき存じそうらいて、かくのごとくの義ども、おおせられあいそ・つろうひとびとにも、いいまよわされなんどせらるることのそうらわんときは、故聖人の御こころにあいかないて御もちいそうろう御聖教どもを、よくよく御らんそうろうべし。
それでひとつ切れておりますね。それから、
おおよそ聖教には、真実権仮ともにあいまじわりそうろうなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちいるこそ、聖人の御本意にてそうらえ。かまえてかまえて聖教をみみだらせたまうまじくそうろう。大切の証文ども、少々ぬきいでまいらせそうろうて、目やすにして、この書にそえまいらせてそうろうなり。
そこでひとつきれておる。もうひとつ拝読しましょう。
聖人のつねのおおせには、『弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ』と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、『自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、瞭劫よりこのかた、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ』という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。されば、かたじけなく、わが御身にひきかけて、われらが、身の罪悪のふかきほどをもしらず、如来の御恩のたかきことをもしらずしてまよえるを、おもいしらせんがためにてそうらいけり。
唯円房の述懐の文は非常に息長くありまして、どこで切れてどこでつながるのかわからないのであります。それだけ非常に深い感じをもって記したものに違いありません。今夜はできれば今読みましたところをお話いたしてみたいと思うております。
初めに、「露命わずかに枯草の身にかかりてそうろうほどにこそ、あいともなわしめたまうひとびとの御不審をもうけたまわり、聖人のおおせのそうらいしおもむきをも、もうしきかせまいらせそうらえども、閉眼ののちは、さこそしどけなきことどもにてそうらわんずらめと、なげき存じそうらいて、かくのごとくの義ども、おおせられあいそうろうひとびとにも、いいまよわされなんどせらるることのそうらわんときは、故聖人の御こころにあいかないて御もちいそうろう御聖教どもを、よくよく御らんそうろうべし」と、こう言うであります。
「露命わずかに枯草の身にかかりてそうろう」と、露の命、枯れ草にかかっているというような命で、いつ消ゆるともしれないわが身でありますということであります。
この言葉から考えますというと、唯円房は相当に老境でありまして、いくつまで生きておられたのかということもほぼわかっておるのでしょうが。今朝調べてみたんですけど、もう忘れてしまいました。ともかくも、七〇、八〇という老人になっておったのでしょう。
(二)
この一節、私も老人になりまして、この言葉のいかにも老人らしさに心引かれるのであります。いつ死ぬかわからないことになっておりまするが、「あいともなわしめたまうひとびと」、この「あいともなわしめたまう」ということは、まあ共に道をうかがい、共にご法を喜んだ人びと、お仲間というようなことでありましょうね。「御不審をもうけたまわり」、こういうことがわからない、ああいうことがひとつ腑に落ちないというお尋ねをうけたまわって、「聖人のおおせ」、今は亡き親鸞聖人のおっしゃったことをも思い合わせて、それは聖人のおぼしめしではこうでありますると、ご不審をもうけたまわって、そのお尋ねを説いていこうと、こう思うておるのでありますけれども、「閉眼ののちは」、眼が閉じてしまいますれば、「さこそ」、そうは申しましても、「しどけなき」、もうどうにもならんことになってしまうと。
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