教化センターリーフレットA「今月のことば」−20092月号(260

親鸞は

弟子一人ももたずそうろう

(『歎異抄』)

 

『歎異抄』第六章の、このお言葉の少し後には「ひとえに弥陀の御もよおしにあずかって、念仏もうしそうろうひとを、わが弟子と申すこと、きわめたる荒涼のことなり。」の言葉が続いてあります。

以前、寺の御近所に、Yさんというお方がおられました。頭脳明晰であるばかりに、当時の状況としては、上級の学校へも行けず自分の不遇を託って、酒を飲んでは愚痴を言う日々を送っておられました私が三〇歳の時「親鸞聖人御誕生八百年」のお勤めをいたしました折、沢山の人にお手伝いをいただきましたが、丁度Yさんは定年を迎えて家に居られましたので、特に頼んで本堂や奥の書院の仕事のお手伝いをお願いいたしました。

こまごました仕事が沢山ありますので、一日や二日ではすまない忙しさの中で「なんや、寺なんて葬式と法事ばかりやと思っていたが、こんなにも仕事があるのやなあ」と、感嘆しておられたのを覚えております。

二日間のお勤めで、一日目は訓覇信雄先生の御講義をいただき、その後のお斎の席にYさんを書院にお誘いすると、お酒を酌み交わしながら先生と問答しておられました。何かを鋭くお感じになって、それ以後ずっと御一緒に聞法いたされました。

七年間のお付き合いでありましたが、生活が明るくなってこられたのが、こちらにも感じられるようになりました。が、六〇歳を過ぎてから重い病にかかって逝去なさいました。

二・七日のお参りに行きましたら、奥さんが「院主さん、主人は集中治療室で合掌しながら亡くなりました。私はこんな主人であったのかと、改めて感動いたしました。」とお礼を申されるのでありました。それは死に際が立派だというのではなく、愚痴でしかなかった自分の一生を、尊いといただいておられた姿に感動し、感応道交されたのでありましょう。それ以後、奥さんも聞法の席に連なっておられました。今は娘さんも聞法されております。

それは南無阿弥陀仏の運動(ダイナミズム)であります。Yさんは真の仏弟子であり、私の師であります。私が合掌しなければならないお方であり、今も私をして聞法の後盾になって下さっておることに深い謝念をいただいておるのであります。

 

◆ホームへ