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教化センターリーフレットA「今月のことば」−2009年10月号(268)
善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや (『歎異抄第三章)
悪人と呼ばれたくない。人を傷つけることなく、人から傷つけられることもない善人として生きたい。これが私たちの世間の常識であります。 ところが、「今月の言葉」(『歎異抄』第三章は、親鸞聖人ご自身がその生き様を通して、私たちの世間の常識とは反対のパラドックス的逆説で、悪人こそ浄土に往生するという「悪人成仏」をお説き下さった有名なことばであります。 「善人でさえ浄土のひかりにつつまれて救われていくのですから、言うまでもなく、 悪人が救われないことがありましょうか」 親鸞聖人は二十年間の比叡山での学修を捨て、求め求めて法然上人に出会われました。その仰せから見出された「念仏成仏これ真宗」こそ、真宗の人間観であることを私たちにお示し下さっています。 そして親鸞聖人は「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」(『歎異抄』第一章)(人はみな欲望にかられて人を傷つけないでは生きられない悪業の深いつみびと)の一人であることに目覚められ、念仏申さずにおれない念仏者となられました。 それは「悪人が悪人とわかった」(近角常観)ということであります。しかしそれは「仏様の向こうからの自力無効と見抜かれていることに頭が下がるのです−自分で自分が分かるのと違います−悪人というのは明るいのです」(延塚知道)と解明して下さっていますように、人は人を傷つけ、仏に背いてしか生きることのできない無智な善人であるけれども「他力をたのみたてまつる悪人」(『歎異抄』第三章)へと大転換していく。生きることの絶望の深淵にありながら、一点のくもりもない明るい親鸞聖人がそこにおられます。 「今月のことば」は善人顔をつくろいながら、世間の常識でしか生きることのできない私たちに、強い逆説を持って、念仏申す身となるよう説き、語りかけて下さっている導きのことばであります。 今日もなお 善人顔の 多いこと
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