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教化センターリーフレットA「今月のことば」−2010年2号(272) 円融至徳の嘉号は 悪を転じて 徳と成す正智(『教行信証』)
しばらく前のことですが、あるご門徒のお話です。その方の息子さん夫婦の仲がうまくいかなくなってしまったのです。二人のお孫さんもおられました。母であり姑であるその門徒さんにとっても大変な出来事でした。 息子さん一家は両親とは別居でしたが、その方から相談をもちかけられるようになり、月にいち度のお参りでしたが、あれこれとお話をしました。 「二人の結婚当初から経済的に援助してきました」「息子と嫁に公平に接してきたつもりです」というそのお方のお話には、「お嫁さんにしたら余計なことであったかも分かりませんよ」「わが子と血のつながらないお嫁さんとにそんなことができていたのでしょうか」とやんわりとお話したことです。けれどもそんな私のことばに、その方はなかなか耳をかそうとはされませんでした。 そういう状況がしばらく続く間に、とうとうお嫁さんが離婚を決心されて夫のご両親にさいごの手紙を書き送ってこられたのです。その手紙のさいごは「お父さん長い間有難うございました」と結ばれていたというのです。「お母さん」のことばがなかったのです。 その手紙が大きな転機となって、その方は少しずつ私の話に耳を傾けて下さるようになりました。母親として姑として自分に問題があった、ということに気付かれたのだと思います。息子さん夫婦はその後幸いなことに、その方が変わっていかれたことが影響したのかどうかは分かりませんが、もういち度やり直そうということになったことでした。その方はその後熱心にお寺にお参りされ、お亡くなりになるまで聞法し続けてくださいました。そのお姿がなつかしく思い出されます。 全く見ていなかった自分の問題(悪)に気付きを与えられたその時、思いがけない歩みが私たちに開かれていきます。本願念仏のおしえこそが万人に公開された救済の道といえるのではないでしょうか。親鸞聖人はこの聖句を『教行信証』の冒頭に高らかに謳いあげておられます。
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