教化センターリーフレットA「今月のことば」−20106月号(276

今の時の道俗

己が分を思量せよ

『教行信証』

 

『末法史観』という、釈尊入滅後の仏教衰退の歴史観があります。仏滅後、『正法』(教法が正しく伝わる)の五百年、『像法』(像は伝わるが、内実は衰退し続ける)の一千年を経て、『末法』に至ると、「破戒の比丘・名字だけの比丘」のみが残り、教法が消えて行く…という史観です。

 それでは宗祖は、その『末法』という〈時との出遭い〉をどう頷かれたのでしょうか。

天台・法華の通時的解釈からすれば、僧尼の威儀が乱れ、在家の人々は濁世の奔流に巻き込まれていく秩序混濁の時代であり、同時に弥勒菩薩の到来を待ちつつ、戒律の復興に励む「仏道への発心・試しの時」なのでしょう。しかし宗祖にとっては、『末法』とはむしろ〈人間の隠しようのない自我の姿・我執の生き様が、威儀・教法の言葉・形としての行などで守りようもなく露わにされてくる時の到来〉であったのです。

宗祖は、出家・在家を超えて、貪り・瞋り・邪さ・偽りの心と、蛇蝎のごとき悪性に満ち、外見に賢善・精進の姿を示しても内に虚仮・偽善に過ぎない人間の在り様を、末世の入り□において頷き、その不実の心で行なう修行も、真実の覚りに抗い、救済に隔たるものでしかない…と歎かれたのでした。

宗祖は「末法という時との出遇い」の只中に、自己の中・人間の中に、地獄(いのちを見失う)・餓鬼(いのちを貪る)・畜生(いのちに気付かない)の在り方しか見出せなかったのです。

《今の時代の出家者も在家者も、自分の分際・分限というものを思い量らねばならない。》

この御自釈は、「人としての悪性の身の自覚」を据え置いて、自力聖道の復興を掲げる当時の南都北嶺の仏門への批判であり、またその前では仏教の端くれにしか置かれていなかった念仏門こそが《時機純熟の教え》であり、もっと言えば(人間の根本的罪業性を包み隠さす懺悔し、その事実に適う唯一の救いの道》である…という宣言に繋がっていきます。

末法の自覚の中で露わにされた「自我に立ち、いのちを囲い、繋がりを失い、生死に迷う我ら凡夫」足る事実の徹底した自覚が、そのまま《唯念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし》…と、不可思議光仏としての阿弥陀如来からの無量光明土ヘの往生の道としての廻向と、頂かれたのです。

宗祖は「末法」という教法滅尽の《今の時》に真向かいに立脚することによって、凡夫往生の真実である《分》の自覚において、「いのちの本願力である如来」から思ん量られた慶びの《時》に同時に出遇われたのです。

 

 

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